算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

算数教育に於ける弁証法の問題(1)

 原子物理学者、坂田昌一氏は、その著“新しい自然観”の中で、

「自然界には質的に異なった多くの階層が存在し、それぞれの階層では、それに固有な法則が支配している。」と述べている。

 これと同じことが、算数教育でもいえると思う。勿論、自然界の階層とは、趣を異にするが、算数教育に於ける演算形式は、一定の数範囲に対応するものとして、ある階層性をもつというのが、わたしの主張である。

 ここに、私の見解と実践を述べ、ご批判を得たいと思う。

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1. 五・二進法の役割とその限界

 五・二進法は、くり上がりくり下がりのない10までの範囲の計算では、きわめて大きな効果を発揮する。わたしは、くり上がりのない10までの範囲のたし算を基礎加法、複合加法に分けて指導した。基礎加法というのは、2+1型、3+2型、5+2型といっているものであり、複合加法というのは、6+2型、4+3型などである。複合加法は、基礎加法に帰着させて答えを求めればよい。6+2に例をとると、6を5と1に分け5+(1+2)=5+3と、いわゆる基礎加法1+2,5+3をつづけて行うことになる。4+3の場合は。3を1と2に分け(4+1)+2=5+2と基礎加法4+1、5+2をつづけて行えばよい。勿論、実際の指導ではこれを操作や映像と結びつけ、直観的に数理を導き理解させる。10までの範囲のひき算も基本的に同じ考えで指導した。五・二進法の採用により子どもたちは指によらないで計算する技能を急速に身につけることができた。そして、10までの範囲の計算が自由自在にできるようになった。たしかに、五・二進法は10までの範囲の計算に照応した算法として大きな効果を発揮した。

 しかし、この五・二進法もくり上がりの計算となると、かえって計算過程が複雑になる。十進法によれば、9+3など(9+1)+2と二段階で計算できるのに、五・二進法では、(5+4)+3=5+(4+1)+2=5+5+2---といった思考過程を経て計算しなければならない。ところが“現代化算数指導法事典”では、

「10の補数でやるものは、くり下がりの減加法にも一貫するし、9+2型など有利だが、これまでの五・二進法が生かせず、7+6型などむずかしい。

『両者併用は--(中略)---映像化に困難である。』

ということで、5のかんづめの偉力を発揮できる五・二進法をとるのが効果的である。」

と述べ、タイルを利用して、

5と5で10、3と1で4だから14。

5と5で10、4と4は5と3だから8それで18。

と解説している。

 即ち、五・二進法を主張する人々は、かんずめタイルの利用と算法の形式的な一貫性をたいせつにしているようである。

 ところが、どんな形式も内容に照応しているときは積極的な役割を果たすが、内容にあわなくなった形式は逆に否定的な役割すら果たす。

 くり上がりくり下がりのない10までの計算範囲では、人間の直観できる数が4乃至5までであること、それに片手の指の数が5本であることなどから、五・二進法は確かに大きな効果を発揮する。五・二進法によって、答えが10までのくり上がり、くり下がりのない計算範囲では、自由に計算できるようになり数観念もより確かなものになる。五・二進法は、くり上がり、くり下がりのない10までの計算に照応した形式として積極的役割を果たす。しかし、計算範囲が拡大されくり上がりのある計算になると、これまでに積極的な役割を果たしてきた五・二進法は、かえって複雑で否定的な役割を果たすことになる。そして、10の補数に着目する十進計算法に席をゆずることになる。10の補数に着目する十進計算法は、これまでの計算で10の補数をみつけること、数の合成・分解が容易になってくること、五・二進法によるよりも計算過程が簡単であることから極めて自然な算法といえる。

 くり上がり、くり下がりのない10までの計算範囲で五・二進法が有効だったという理由で、くり上がり、くり下がりの計算にまで五・二進法を適用しようとするのは、卵の殻がその生命を守るうえで重要な役割を果たしたからといって、ひよこになってもその殻の中に閉じ込めておくようなものである。即ち、事物の発展を弁証法的に正しく捉えられない形式主義に陥っているのだといわざるを得ない。

(つづく)

 

(1981年7月28日の掲載。掲載雑誌は不明)