算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

教えたいことは 教えるな!(2)

2. 何年かすぎて

 それから何年かすぎて、わたしはまた一年生を担任することになりました。そして、同じ“たまいれ”の単元を指導することになりました。

 算数の時間は、二時間目です。一時間目が終わると、わたしはつぎのように指示しました。

「二時間目は算数です。“たまいれ”をするから、今度チャイムがなったら、運動場のジャングル・ジムに登って待っていらっしゃい。」と。

 子どもたちは、大よろこびで外へ出ていきました。わたしが紅白の玉を用意して外へ出ていくと、子どもたちは、もうジャングル・ジムによじ登って待っていました。

 チャイムがなったらすぐ集まるということは、この授業のねらいではないから事前に教えておいたのです。

 ジャングル・ジムのところで、わたしは“たまいれ”のルールを説明しました。

 笛がなったら、すぐもとのところへもどることも話しておきました。これも、この授業の中心的なねらいではないからです。

 子どもたちは、ルールを守って何回か“たまいれ”をしました。ゲームを終わってから教室で“たまいれ”の話をしました。

「おもしろかったね。」

「一回目は、どちらが勝ったかね。」

「赤です。」

「そうだったね。」

  ......................................................

「三回目は、どちらが勝ったかね。」

「白です。」

「赤です。」

「白は、いくつだった?」

「26です。」

「赤は?」

「23です。」

「ちがうよ。33です。」

「どっちだったかな。」

「白です。」

「赤です。」

「こまったね。どちらが勝ったか、わからなくなってしまったね。こんどからどうしよう。」

「数を書いておけばいいよ。」

「そう、それはいい考えだね。みんな、10より大きい数、まちがえずに数えたり、書いたりできるかな。」

「できます。」

「じゃ、この玉の数いくつかわかるかな。」

こうして10以上の数を数えたり、書いたりすることの指導に入っていきました。

 わたしは、この授業で教えたくないこと、つまり、チャイムがなったらすぐ集まること、終わりの合図の笛がなったらすぐやめてもとの位置へもどることなどを、前もって教えておいたおかげで、スムーズに授業をすすめることができました。

 一方、この授業で教えたいこと、10以上の数を数えたり、書いたりすることを、教師が一方的に先取りして教えておかなかったおかげで、数を書くことの意義を理解させ、それを子どもたち自身の課題として把えさせることに成功したのです。

 

3. 学習の焦点化と主体的学習

 授業内容が過密になり、学習指導の効率を高めることが叫ばれている今日、学習の焦点化を図ることは極めてたいせつです。だが、しかし、その焦点化は、教師が一方的に子どもたちにワクを入れ、指導内容をおしつけることであってはならないと思います。ここにあげた事例は、今から十何年も前のことであり、いわゆる、算数科における生活中心の学習形態です。けれども、ここから、教育全般に通ずるたいせつな教訓をひき出すことができると思います。それは、さきにも述べた

“教えたいことは、教えるな、教えたくないことは、教えておけ。”

ということです。

“教えたくないことは、教えておけ。”というのは、本時のねらい以外の抵抗はできるだけなくすこと、そして、子どもたちの関心が本時のねらいに集中できるようしむけるためです。

“教えたいことは、教えるな”というのは、その授業の中心的なねらいについては、どこまでも子どもたちの主体的な学習を保証するためです。

 学習の焦点化と主体的学習は、この二つをふまえてはじめて統一されるのです。そして、学習を焦点化することが、子どもたちの主体的学習を助け、学習の効率を高めることにもなるのです。

 

 次号では、“教えたいことを、教えないで”どう学ばせるかということについて述べたいと思います。

(おわり)

 

(算数数学指導 小学校編 大阪書籍(1976年) さんすう・しどう・ノートより)