算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

教具寸言(1)

 教具といえば、最新の教育機器から黒板やおはじきにいたるまで、教育現場で用いられる一切の道具をさしている。そして、教育効果をあげる上でそれらの教具の果たす役割は大きい。

 もちろん、教具には市販のものもあれば、自作のものもある。また、教科独自のものもある。ここでは、算数の教具について思いつくまま述べてみよう。

 

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 次の写真は、わたしがかつて作った手づくりの教具の一部だが、こうした手づくりの教具を用意することで、すばらしく授業に活気を呈するものである。

 また、こうした手づくりの教具をくふうしたり、作ったりする過程で、一層深く教材に精通し、よりよい授業の展開を思いつくものである。

 写真の中のがま口は、(何十)ー(何十)の計算指導をするときに使った教具である。これは、80ー20の計算をするのに、十円玉の個数で考えれば、8ー2と同じであることを理解させるためにくふうしたものである。このがま口は、十円玉をイメージとしてえがきやすいように、口を閉じたり開いたりすることができるように作ってある。これだけのことで子どもたちは、がま口の中の十円玉を直接見たり、心象にえがいたりしやすくなる。そのことで、十円玉の数に着目して、80ー20の計算を8ー2の計算におきかえて答えを求める。

 

こうした計算を繰り返す中で(何十)ー(何十)の計算も、今までの(基数)ー(基数)の計算と変わりがないことに気づかせるのである。

 ほんのちょっとしたくふうが、いきいきとした授業を保証し授業を成功に導くものである。

 

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 さて、実物もまた教具として大いに利用できる。

 先日も1年生を初めて担任した若い女の先生が“5までのかず”を教えるのに、家から茄子や胡瓜、トマト、玉葱、馬鈴薯---など、いろいろな野菜をもってきて、それを数えさせた。もちろん、子どもたちは大喜びでそれを数えた。本物のもつ魅力である。だが、この場合、実物を教具とした価値はそれだけではない。“3”という数概念は、3個のおはじきやタイルだけをどんなに繰り返し数えさせても身につかない。“3”という数概念は、いろいろな具体物を数える中で色や形、大きさなど種々様々な属性を捨象して、初めて形成されるものだからである。

 しかし、実物を教具に使って失敗した話もある。

 それは、昭和27、8年頃の話だが、当時は2年生で、いわゆる“のつき分数”を指導することになっていた。その頃の指導要領によれば、おやつの分けまえなどをいい表す学習活動を通して、“1/2は、「---の半分」「---をふたつに分けたひとつ」をかき表すのに用いられること。1/3は「---をみっつに分けたひとつ」をかき表すのに用いられること”などを指導することになっていた。

 そこで、この“のつき分数”の指導にあたって長野のある先生が、実物のりんごを用意して、それを半分に切り、その一切れが「1/2」であると教えられた。ところが、子どもたちは、「それは1/2とちがう」といい出した。「片方のりんごには傷がついているし、形も右と左で同じでない」というのである。せっかくの研究授業も思わぬところでつまずいてしまった。確かに実物のりんごでは左右まったく対称のものはない。子どもたちは、ある面で大変な“現実主義?”であるから、このような場合、教師がどんなに左右同じだとみた場合などと説明してみても納得してくれないのである。

 この話を聞いてなるほどと思い、わたしは当時この“のつき分数”を教えるのに、画用紙を完全な円形に切りぬいて、それをまんじゅうに見立てて指導した。その授業は成功した。子どもたちは、画用紙で作った円形の切り抜きをまんじゅうに見立て、2分の1,3分の1の意味をすんなり理解してくれた。子どもたちは、円形に切りぬいた教具の画用紙をまんじゅうに見立てることには抵抗がなかった。子どもたちは、一面“空想家?”でもあるのだ。だから、円形の画用紙がふかしたてのまんじゅうにも見えるのだ。

 さて数学や算数の対象は、現実を出発点としながらも現実そのものではなく、理想化された現実を対象としている。したがって、数学や算数では現実を理想化する力が必要である。実物のりんごを1個、2個---と数える場合も、厳密にいえば、ひとつひとつのりんごに大きさや質の違いがあるにもかかわらず、それを無視し等質化—理想化—して数えているのである。これに対し、算数教具の多くは、現実を初めから理想化したものといえよう。理想化することによって、目的以外の属性を切りすて、ちょうど科学の実験と同じように条件を単純化しているのである。

 わたしは、かつて“対称な図形”を指導するのに“木の葉形”を素材として選んだ。対称な図形は、自然の中にもあるごく親しみやすい形であることを印象づけたかったからである。しかし、当然のことだが、現実の木の葉は日照や他の様々の要因によって完全には左右対称になっていない。したがって、それを理想化する必要がある。しかし、それを子どもたちに求めることは無理だと思った。そこで、左右完全に対称な木の葉の形を画用紙で作ってそれを教具として使った。

 子どもたちは、多種多様な木の葉の共通な性質として左右対称であること、対応する点を結ぶ直線は対称軸で垂直に2等分されることを発見した。

 理想化された“木の葉”の教具が、この授業を成功に導いたのである。

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(つづく)

 

(1980年代の掲載。掲載雑誌は不明)