算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

教えたいことを 教えないで学ばせるには(6)

―その3 論理をどう導くかー

 

1. おしつけ授業とひきまわし授業

 完成された数学が、極めて論理的な体系を具えていることから、算数の授業では、特に論理中心に子どもたちをひきまわす指導をよくみかけます。

 第一のタイプは、子どもの思考を無視して教師の一方的な論理をおしつける授業です。例えば、一年生のくり上がりの計算指導でいえば

“きのう うんだ たまごは 8こ、きょう うんだ たまごは 3こです。あわせて なんこでしょうか。”

という問題で、具体物を示したり図解したりしながら

「8個は、10個に2個たりないから、3個を2個と1個に分けて、その2個を8個にたして10個、残りの1個と合わせて11個とやります。」

とくりかえしくりかえし教師が説明するやり方です。

 もちろん、こうしたタイプの指導は少ないでしょう。しかし、授業の流れの中で子どもたちがついてこなくなると、つい教師はあせって、こうしたつめ込み授業に走りがちです。ところが教師があせってこのような説明をくりかえせばくりかえすほど、子どもたちの頭の中を混乱させ、ますます算数ぎらいをつくってしまう結果になるのです。

 第二のタイプは、一問一答形式で教師の論理に従って誘導するひきまわし授業です。

T.「昨日、生んだ卵は何個ですか。」

C.「8個です。」

T.「そう、8個ですね。10個にあといくつたりませんか。」

C.「2個です。」

T.「では、3個は2個といくつですか。」

C.「1個です。」

T.「そうですね。そうすると3個の中の2個を8個にたすといくつですか。」

C.「10個です。」

T.「そう、10個ですね。ではあと1個残っているのと合わせるといくつですか。」

C.「11個です。」

T.「そうです。11個ですね。だから8に3たすときは8に2たして10,10に1たして11と計算します。」

といった指導です。

 たしかに、教師の問いは、すじが通っています。そして、一つ一つの問いに対して、子どもたちから答えを引き出し、子どもたちの口から結論を導いています。ところが、こうした指導では子ども自体の論理を引き出したことにはなりません。それに子どもたちは、その時々の教師の問いに答えているだけで、全体的な見通しを持っていません。したがって、なぜはじめに、8個と10個とのちがいに着目するのかといった一つ一つの問いの意味を理解することもできません。

 わたしは、こうした授業を“牛につられて善光寺参りの授業”とも名付けています。牛に帯をとられたおばあさんが、帯をとりかえそうと牛を追いかけているうちに、善光寺参りをさせられたという話ですが、教師という牛に導かれて子どもたちが知らず知らずの間に結論に達するという授業のことです。こうした授業も、結局、子どもたちの主体性を無視した授業であり、結果的には、教師の論理をおしつけることになってしまうのです。

 第一のタイプも第二のタイプも“教えたいことを教えないで学ばせる授業”ではありません。では、算数教育において、論理を教えないで学ばせるには、どうすればよいのでしょうか。“適切な見通しを立て、筋道を立てて考える能力や態度を伸ばす”指導は、如何にするべきでしょうか。

(つづく)

 

(算数数学指導 小学校編 大阪書籍(1976年) さんすう・しどう・ノートより)