算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

水道方式のさんすう(4)

わたしは、という型の計算をつぎのように指導しました。

 子どもたちの前に、ボール紙で作った大きな貯金箱をみせ、その貯金箱にお金が23円入っていることをあてさせ、つぎに10円玉は左に、1円玉は右に整理して入れてあることをひらいてみせました。

 そして、再びふたをしめて、そこへ20円を貯金すると、いくらになるかを考えさせました。

 子どもたちは。一斉に手をあげ、

“43円になります”

とこたました。貯金箱をひらいてそれをたしかめると、子どもたちはあっていたことに大満足です。こうしてつぎに30円、20円と加えてから、

“どうして、まちがいなくいくらになったか、わかったのですか”

とたずねると

“23円に20円をたすときは。10円玉が4つになるでしょ。そして1円玉はそのままでしょ。だから43円ということがわかります”

とこたえました。

 そして、23+20、43+30、73+20などの計算は、十の位だけが変わることにも気づきました。

 こうして、54+30、41+50---などの計算も、頭に貯金箱をえがきながらなんの抵抗もなく計算できるようになったのです。

 教師の方から、この計算はこうしてやるのだとおしつけるのでなしに、子どもたちが計算するときのよりどころとなるような具体的な条件と場を構成してやり、子どもたちに自由に考えさせるという方法をとったのです。

 だから、子どもたちは、与えられた条件に対して、最善の方法をとるわけです。

 したがってといったくり上がりの計算がでてきたときは、子どもの方から、その計算の最善の方法として筆算形式に切りかえていきました。

 こどもたちは、自主的に常に合理的な方法を求めていったわけです。

(つづく)

 

(掲載雑誌は不明。1960年頃の著作と思われる。)