算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

学習に興味をもたせるには(3)

 第3の条件 事実に即した考え方を大切にすること。

 事実を無視した無理な考え方を子どもたちにおしつければ、学習に対する興味をなくすのは当然である。しかし、実際になるとこのすじの通らない考え方を、ずい分子どもたちにおしつけていることがある。

 ある教科書は、13−6という計算の導入にチューリップを素材にして減加法を導いているが、少なくとも減加法をはじめて導入する教材としては好ましくない。チューリップの場合、10から6をまずはじめに引かねばならない必然性はないからである。花だんに咲いているチューリップであれば当然、1本とって12本、2本とって11本。3本とって10本、あと3本とれば7本という考え方が自然であるし、たとえ10本がたばにしてある場合でも、まず端数の3本をとり、あと10本のたばから残りの3本をとると考えるのが自然だからである。しかも、10までの引き算では数え引く方法をよりどころとして考えてきたとすれば、なおさらである。当然、10−3−3と減々法による考え方が自然であり道理にかなっている。

 さて、減加法を導くにはどうすればよいか。この場合、素材を代えればよい。即ち、十円玉一個と一円玉三個とをもって六円のものを買ったとすれば、極めて自然な形で減加法10−6+3の考え方を導くことができる。一円玉三枚はらって、あとからまた十円玉を出すようなことはしないからである。

 子どもたちは、こうしたすじの通った考え方に興味をもつものである。

 算数教育に於いて、具体性が重視されるのは、単に具体性のもつ外面的な関心や興味のためではなく、こうした内面的必然性を重視するためであり、また、その必然性からくるすじの通った考え方を導くためである。

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 以上、算数科により興味をもたせるための条件を、三つほど述べたが、興味をもたせる条件は決してこれだけはない。要するに、科学的認識論に立脚した学習指導法から必然的に出てくるものであることを強調したい。興味の問題を、たんにテクニックの問題としてとらえるならば、それは大きな誤りをおかすことになると思う。

(おわり)

 

(1950から1961年頃の著作。掲載雑誌は不明)