算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

文章題指導における形式主義の克服(3)

5. 図や式は、必ずしも文章題解法の武器ではない

 高学年になると文章題もむずかしくなり、いきなり答えを求めることはできないし、式さえ図や表をたよりにしなければな立てられないものが多くある。

 しかし、低学年の文章題では、問題をよく読み、題意を正しく理解するだけで直ちに答えが求められるものがある。

“かきを 5こと、みかんを 5こ かいました。くだものは みんなで なんこ かいましたか。”

“なしと りんごを かって、100えん はらいました。なしは 60えんです。りんごは なんえんですか。”

といった問題では、子どもにとって立式の必要はほとんどない。しかし、先生は、

「式を書いてから、答えを書きなさい。」

と要求する。なかには

「まず、図をかいてから、式を書きなさい。」

と要求する先生もある。ところが、低学年の子どもたちは、その図をかいたり式を書くことに抵抗が多い。しかも、問題には図をかけとか式を書けとは要求していないのに、どうして先生はそんなことを要求するのか理解できない。

「さんすうは、かんたんなことを、むずかしく かんがえる べんきょうなのか。」

という誤った認識さえあたえる。そして“さんすうぎらい”がここでも生み出される。

 低学年では、図をかいたり立式したりすることは、必ずしも文章題解法の必要な武器ではないのだ。せまい土地を耕すのにトラクターは、かえって不便であり、使いこなせない道具はかえって重荷になるのと同じなのだ。

 しかし、それだからといって、それは指導しなくてよいというのではない。図や式は、やがて複雑な問題を解く場合の有力な武器となるものだ。そこで、わたしは、一年生では答えをまず書かせてから、その答えをどうしてみつけたか式表示させたり、図に表現させたりしている。一年生では、図や式は自分の考え方を示す説明の手段として位置づけているのである。不思議なことに、考える手段としての図や式は、むずかしかった一年生の子どもたちも、説明のための図や式となると案外抵抗も少ないのである。

 やがて、子どもたちは、図や式に書くことになれてくる。そして、文章題も複雑になってくると、今までは説明の手段であった図や式が、今度は文章題解法の有力な武器に転化するのである。

 

 形式主義は、わたしたちの新鮮な眼を曇らせるドグマである。数学はたしかに形式を大切にする学問である。そして内容に照応した形式は、その内容の発展を促進する。しかし、数学の形式も永久不変ではない。数学が飛躍的に発展するときは、つねに新しい形式の創造があることを数学史は教えている。数学と形式主義とは無縁である。

(おわり)

 

(1980年代と思われる。掲載雑誌は不明。「算数アラカルト 算数教育への提言(1)」より)