さんすう すらすら(6)
Ⅵ. くりあがり計算
—集中的な経験でおぼえる—
1. ピンとこない
わたしがまだ教壇に立って間もないころです。8+6といった基数に基数をたして10いくつになるくり上がりの計算を指導しました。“にわとりが きのう たまごを8こ うみました。きょう また 6こ うみました。 たまごは あわせて なんこに なったでしょう”という問題です。
「きのう 生んだたまごは8個ですね。あとなん個で10個になりますか」
「2個です」
「そう2個ですね。では、6個は2個となん個ですか」
「4個です」
「そうですね。だからきのう生んだたまごは10個に2個たりないから、きょう生んだ6個のうちから2個をとってあわせると何個ですか」
「10個です」
「そのとおり、10個ですね。そうすると、きょう生んだたまごは、まだ4個残っているから両方あわせるとなん個ですか」
「14個です」
わたしは、具体的にしかも順序だてて、こどもたちによくわかるように指導したつもりでした。
ところがこどもたちは、なにかわかったような、わからないような顔でピンとこないようすです。若いわたしにもそれがよくわかって、もう一度くりかえしました。
ところが、こどもたちは、ますます興味を失い、わたしがあせればあせるほど、こどもたちは授業からはなれていってしまいました。
わたしはふしぎでした。どうしてこんなに順序立てて説明してもこどもたちにはわからないのだろうと思いました。
2. 10の補数に着目
それからなん年かたって、またくり上がりの計算を指導することになりました。わたしは10個入りのパックを画用紙にかいて、それに画用紙でつくったたまごの形を9個切り抜いて、はったのと、画用紙のざるに、画用紙のたまごを2個、3個、4個、5個---と切り抜いてはったのを用意しました。そして、まず、たまごが9個はいっているパックと3個はいっているざるをみせました。「卵が9個あります。また、たまごを3個もってきました。たまごは、あわせていくつになったでしょう」
こどもたちは、図をみながら「12個です」とこたえました。
以前だったら、ここで“どうして12個になるの”とこどもたちに説明をもとめるか、こどもたちの思考過程をひき出す問いをするところでした。しかし、わたしは「そう、そのとおり、よくできたね。じゃ、たまご9個と6個ではいくつ」と、6個入りのざると、とりかえてたずねました。
こどもたちは、やはり図をたよりに「15個です」とこたえました。
わたしはざるをつぎつぎとかえ、こたえをもとめながらつぎのように数式をかいていきました。
9+3=12
9+6=15
9+2=11
9+7=16
9+4=13
9+8=17
こどもたちの計算は、だんだん速くなり、「ハイ」「ハイ」と連呼して、たいへんな調子です。
わたしは、そこではじめて「どうしてそんなに速くこたえがわかるの」とたずねました。
こどもたちは得意満面で
「そりゃあね。ざるのたまごが3個だったら1個減らして12個とこたえりゃいいし、6個だったら1個へらして15個とこたえりゃいいもん」「それは、パックのたまごがみんな9個でしょう。だから1個とりゃいいの」とこたえました。
「なるほど、うまいことを考えたね。じゃパックのたまごが8個だったら」「そのときは、2個とればいいよ」
こどもたちは、わたしから教えてもらうのでなく、みずからの力で、くり上がりの計算では10の補数に着目すればよいことに気づいたのです。
3. くりかえす必要
「9たす3」「9たす6」「9たす4」とくりかえしえいるうちに、こどもたちは、くり上がりの計算のしかたを自分でみつけ、自分のものにして、「8たす4」とか「7たす6」の計算まで自由にできる能力を獲得したわけです。
このような変化は、以前わたしが失敗したときのように9+4=13といった計算をたった一度経験するだけでおこるはずはないのです。集中的にその経験がくりかえされる必要があるのです。
(つづく)
新聞「赤旗」に掲載。掲載時期は不詳。1980年代と思われる。