算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

さんすう すらすら(5)

Ⅴ. 具体と抽象

—みえないものを心に描く—

 

 わたしが1年生を担任していたとき、黒板いっぱいに大きな木と岩、草むらの絵をかき、「よしおくんたちは、かくれんぼをしました。7人かくれました。4人みつけました。まだなん人かくれていますか」とたずねました。

 

1. あの木のむこうに

 そのとき、ひとりのこどもが「2人かくれています」とこたえました。するとK君が「ちがうよ。まだ、あの木のむこうにひとりかくれているよ」というのです。

 わたしはこの、K君の発言を聞いて、いかにも1年生らしい発想だと思いました。K君は、おそらく、7人がそれぞれどこにかくれたかを頭のなかにえがいていたにちがいありません。だから4人みつけたと、だれかがいったとき、みつかったのは、どことどこにかくれたこどもで、まだみつからないのは、あの木のむこうとあの草むらのなかと、あの石のかげだというように考えていたのでしょう。

 だからK君は「まだ、あの木のむこうにひとりかくれている」と答えたのです。

 

2. とくに低学年では

 こどもの思考は、このようにまったく具体的です。とくに低学年のこどもは具体的にものごとを考えます。だから抽象的な数の計算になると、こどもたちは大きな抵抗を感じます。

 実際におはじきやタイルで●●●●と●●●ではいくつとたずねると、すぐ7個とこたえられる子でも、「4と3ではいくつですか」というとなかなかできません。おはじきやタイルの場合は、視覚に訴えて、

●●●●●←●●

5個と2個にして7個とこたえてもよく、また数えてもできますが、数字の場合は、それができないからです。こどもたちにとっては、このように具体数と抽象数とのあいだには、大きなギャップがあります。したがって、この具体数と抽象数とのあいだのギャップをどううめるかが指導の大切なポイントになるのです。

 ここで、かくれんぼの問題をもう一度考えてみましょう。

 かくれんぼの問題は、木や石や草むらなど情景図はかかれていたけれども、かくれた7人の子の具体的な姿はかかれていませんでした。しかし、こどもたちは、あの木のむこうにひとり、この草むらに二人、あの石かげにひとりと、ひとりひとりのこどもの姿を心のなかにえがいていました。それは、具象でもなく、抽象でもない心にえがかれた像なのです。わたしはそれを心象となづけました。

 この心象こそ、具体と抽象の橋渡しになるのだと思いました。

 

3. 心象による計算の重視

 それ以後、わたしは、この心象による計算を重視しました。袋のなかにはいっているあめ玉や、戸だなのなかのかしわもち、菓子箱のなかのまんじゅう、かごのなかの柿、石の下にかくれている「かに」など、心象にえがきやすい場面をとりあげて指導しました。

 はじめは一方をかくし、つぎには両方ともかくして考えさせるというように段階を追って具象から心象による計算へとなれさせていきました。しかも数字やタイルとの結合を重視して指導しました。


 3びきの「かに」と2ひきの「かに」を大小2つの石の下にかくしておいて、大きい石をとりのぞいて3びきの「かに」を見せ、ふたたび石でかくしてから、その下に「3」という数字をかき、つぎに小さい石をとりのぞいて2ひきの「かに」をみせて、その下に「2」という数字をかいて「かに」は全部でなんびきいるかをこたえさせ、あとからタイルでたしかめさせるといった指導をくりかえしました。そして逆に、抽象数の場合はタイルと心象にえがかせるようにして、抽象数による計算への橋渡しとしました。

(つづく)

 

新聞「赤旗」に掲載。掲載時期は不詳。1980年代と思われる。