算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

算数教育に於ける弁証法の問題(3)

3. 短除法と長除法

 わり算の筆算形式に、短除法(A)と長除法(B)のあることは、少し年輩の教師であれば、みな知っている。ただし、短除法は除数が一位数の場合に限られた形式であり、長除法にはその制限がない。

 最近の教科書では、いずれも最初から長除法形式を採用している。長除法によりば、除数に制限がなく、除数が二位数以上になっても同じ形式で、しかも同一操作の機械的繰りかえしで答えが求められるというのが、その理由であろう。

 

 しかし、長除法による筆算形式(C)をはじめから導入すると、ほとんどの子どもが、

「うわあ、めんどうやなあ。」

「ややこしい。」

と叫び声をあげる。

そこで、短除法による筆算形式(D)を示してやると

「それなら、わかる。」

「かんたんや。」

となっとくするのである。たしかに長除法(E)ではつぎのような計算をするのに、

「なぜ、4や6をわざわざ下におろしてくるのだろう。」

と子どもたちは思う。このような計算では、長除法形式を採り入れる必然性は、全くないからである。

 だから、長除法形式を採用すれば、教師のおしつけとなり、子どもの主体的な学習は疎外される。

 したがって、子どもの主体性を保障し、生き生きとした学習をするためには、形式と内容の弁証法的な統一が必要である。そこで、わたしは、わり算の指導体系をつぎのように考えている。

(a) 第一段階

 この段階は、24÷4、30÷7,60÷3,320÷4,1200÷4といった計算が対象になる。この段階では、積算形式を採り入れる必要はない。横書きのままで暗算で計算させればよい。

 これを積算形式で計算させると、かえって位取り毎に形式的に処理するため、数の大きさに対する実感を失い、下のような誤りをおかす子どもがでてくる。

 それよりも、この段階では、具体的イメージをよりどころに、数に対する実感を大切にして暗算で答えを求めさせた方が誤りが少ない。しかも、この暗算による計算をくりかえす中で、子どもたちは600が100の6倍であり、600÷3は6÷3として100を2倍すればよいという位取りの原理に着目して計算するようになり、それになれてくる。このことは暗算という形式の中で、筆算で重要な役割を果たす位取りの原理に対する理解を除法についても一層深め、筆算へ移行する準備が行われるということである。

(b) 第二段階

 この段階は、84÷2,903÷3、124÷4、72÷3、456÷6といった計算が対象となる。即ち、除数が一位数で九九の適用が2回以上となるわり算である。

 ここでは、短除法が暗算にとって代わる。それは、600÷3のように、かけ算九九を一回適用するだけで、答一発というわけにはいかないからである。しかも、九九を二回以上適用することから答えの位取りを考慮する必要が一層でてくる。しかも、その能力は、暗算の段階で準備されている。

 勿論、その導入にあたっては、まず暗算で答えを求めさせ、暗算による計算と関連させて短除法形式を導くのがよい。子どもたちは、数の大きさを一々考えなくてもよい短除法形式による筆算のよさを理解する。

 なお、ここでは長除法形式を指導しないが、将来、長除法を指導する立場から、記号は、 でなくて  を採用するのがよい。

 短除法形式の導入により子どもたちの計算能力は飛躍的に伸びる。そして子どもたちは、暗算形式では、およそ考えもおよばなかった下のような計算をよろこんでするようになる。

 だが、これを長除法形式で計算させたらどうだろう。子どもたちはうんざりするにちがいない。

(c) 第三段階

 この段階では、138÷53、768÷32、2084÷63---といった除数が二位数以上の計算が対象となる。この計算は四年ででてくる。

 そして、ここではじめて長除法形式を導入するのである。

 問題は、短除法形式から長除法形式へどのようにスムーズに移行させるかであろう。この点は、全く心配がない。

 当然のことながら、まず、商が一位数になるわり算を指導する。138÷23のわり算であれば、子どもたちは、はじめ短除法と同じように23×6の積を書かないで計算する。そこで、ためし算をするのに別のところへ書かないで、被除数138の下に23×6の積を書くよう約束する。これで長除法形式への自然な導入が図れるのである。そして、768÷32といった計算で、長除法形式の一般的形式を導くのである。

 除数が一位数の段階では、無用の長物であった長除法が、ここではその真価を発揮する。計算内容の発展が長除法形式登場の必然性を生みだしたといえる。

    *    *    *

 すべての事物の発展がそうであるように、数範囲の拡大と計算形式は、まさに弁証法的に発展する。

 物事を固定的に捉えると、この弁証法的な関連を正しく捉えることができない。

 最近の算数教育の傾向に、こうした固定的な見方がみられる。

 人間の思考が、電子計算機とちがうのは、まさに弁証法的な思考にある。電子計算機は、どんなまわり道でも教えられた通り、単純な操作を組み合わせた手順にしたがって答えを求めるが、主体的な人間の思考は、それとちがう。弁証法的な思考こそ生きた人間の思考なのである。

(おわり)

 

(1981年7月28日の掲載。掲載雑誌は不明)