算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

暗算と筆算との関連について(2)

2.暗算と筆算との弁証法的統一とその実践的帰結

算数教育における根本矛盾とその発展法則を知って、正しい科学的な体系を打ち立てなければならない。

 

 算数教育における根本的な矛盾は、子どもたちの思考が具体的であり、総合的・内容的であるのにたいし、数学が抽象的・分析的・形式的であるところにある。我々が指導上、常に困難を感ずるのもまさにこの点にある。しかし、この矛盾こそ、算数指導の発展をうながすものである。そして、我々がその発展法則に従う時、我々の困難は解消する。

 今、その発展法則を具体的に、ここに述べてみよう。

 

a)数えることから計算への転化

 子どもたちは、いろいろな生活の必要から物を数えはじめる。やがて彼等の生活経験の拡大によって、数の抽象化もそれ相当に発達する。すなわちりんご五つといえば、そこにりんごがなくても、りんご5個を意識することができるようになる。したがって戸棚の中のりんご5個と今もらったりんご3個でいくつあるかを数えることが可能となる。かくして、数えることから計算への転化が行われる。これは、経験の累積と、意識的な計算法の適用によるが、その根本的な原動力となったのは、具体物を数えるという数多くの経験によって数の抽象化がもたらした矛盾の解決の結果である。もし、眼に見える具体的なもののほかに数を意識することができなければ、彼等にとって計算は必要でなく、数えることのみにとどまるであろう。こうして計算が導入され数範囲の拡大とともに、より複雑な計算が行われるようになる。しかし、先に述べたように子どもたちの思考は、まだ具体的であり、総合的・内容的であるため、28+46というような計算も、一位と十位とを分析的にとりあつかうことは困難である。このことは筆算一辺倒にたいする批判のところで述べたとおりである。彼等は28+46の計算にあたって28→68→74とその結果を求める。すなわち、この段階では暗算形式による頭加法によって計算が行われる。

 もし、ここで筆算形式を強要するならば、子どもたちをいたずらに苦しめるのみで、筆算のよさ、すなわち、分析的、形式的に行うことによって、どのような大きな数も機械的に計算できるというよさ、を理解させることもできないであろう。

 

(b)暗算から筆算への転化

 暗算の導入により数える生活が拡大され、生活経験のひろまりによって、より大きな数より桁数の多い計算が行われるようになると繰り上がり、繰り下がりが2回以上行われるような計算に直面することになる。ここで暗筆形式の計算法と数学本来の抽象的・形式的・分析的な性質との間の矛盾が再び激化してくる。

 こうして暗算形式の胎内で培われた抽象化の能力、分析的な思考能力とあいまって、尾加法による筆算形式への質的な変化が行われる。私が去年指導した2年生では2月になって桁数の多い計算を与えた時、“先生、その寄せ算は一の位だけ寄せておいてから十の位を寄せると、やりよい”と子どもの方からいい出した。もちろん、この子どもは親から筆算形式を教わっていたのであるが、この時になって筆算のよさを本当に知ったようである。他の子どもも、ここで筆算の方法を学び、筆算のよさを理解し、きわめて自然にそれを導入することができた。もしここで暗算を強要し、筆算への導入をひかえるならば、前とは逆に子どもたちを暗算形式による計算法に固定化させ、将来、筆算を導入する時の大きな障害となって、筆算のよさを十分に理解させることができず、ただ変わった計算の仕方として子どもたちは把握し、思考を混乱させるだけであろう。

 

c)筆算導入における暗算の位置

 ここで筆算導入後における暗算の位置について簡単に述べておこう。

第1に、筆算導入後においても、その計算の過程において、たえず必要とされる。

 次に掲げる計算を行ってみるがよい。暗算の能力は、どの計算をする場合も必要である。すなわち、暗算は完全に筆算の中で止揚されている。

 

  しかも、暗算偏重論にたいする批判のところで述べたように、繰り上がり、繰り下がりはすべて1回のもので十分であることがわかるであろう。

 第2に、概算をする場合に暗算は有効である。筆算では、その算法が形式的、分析的であるため、また尾加法によるため、大略の数の把握が困難であり概算に不便である。したがって、暗算の方法によって常に概数計算をするようにすれば、大きな誤りからすくうことができる。

 最後に、簡便算にふれておこう。簡便算はさらに学年が進み、数にたいする理解が深まり、計算の法則を理解することによって意識的に念頭で計算する方法である。例えば38+26の計算を

と計算する場合などがそれである。したがって計算の発展段階としては、前に述べた暗算及び筆算より高次の段階に属する。

 

3.結語

 このような、小論において結語はいらないと思うが、私の主張するところは、算数教育もまた、すべての科学と同様、発展的過程的にみなければならなぬということである。戦後算数教育についていろいろな研究がなされたが、その多くは、発展的全体的な関連の中で考察する態度に欠けていたように見受ける。文部省から出された“初等教育研究資料Ⅶ集 児童の計算力と誤答”についても、1年生では繰り上がりや繰り下がりを誤る子どもがわりに少なく、2年生になって俄然増加しているという結果が出ているにもかかわらず、ただそのような現象を指摘し、注意を促しているのみで、それがどのような原因によるのかといった追求に欠けているように思われる。

 私の研究もまだこれからである。大いに諸兄からの御批判をいただき、私の実践の結果と文部省のそれと比べてみたいと考えている。

(おわり)

 

第4回教科研全国大会プログラムより(1955年8月10日−12日