算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

子どもの論理(10)

6. 子どもは、現実的に考える

Ⅰ.

 今から十年も前の話である。当時は、加法九九、減法九九を指導したら、直ちに筆算を指導することが常識になっていた。

 筆算で計算すれば、どんな大きな数でも位取りの原理にささえられて、桁ごとに機械的に計算していけば、一々数の大きさを意識することなく、正しい答えが求められ、しかも途中で、頭加法形式から尾加法形式に切りかえるわずらわしさもないと考えられていたからである。

 ところが、最初、子どもたちはなかなか筆算のよさを理解してくれなかった。

“23に40たすと63、63に6をたして69。“

と頭加法で計算するのである。まして、30たす40といった計算では、0+0=0、3+4=7だから70とは、決して計算しない。なん回もなん回も、色カードを使用したり、色箸を利用したりして筆算形式になれさせたことを憶えている。

 そこで、4年前に2年生を担任したときは、30+40、23+46といった計算を暗算形式で指導した。指導はスムーズに行われた。その上、38+46といった計算では、極めて容易に筆算形式を導入することができた。

 10年前、23+46とか30+40といった計算で、あれほど筆算形式に抵抗を感じた2年生の子どもが4年前38+46といったで筆算形式を導入したときは、どうしてこうもスムーズに理解することができたのであろうか。

 結論は簡単である。23+46とか30+40といった計算では、筆算形式をとる必然性がなく、38+46といった計算になると筆算形式が便利であるからである・

 筆算形式が便利であるというのは、3689+4765といった大きな数の計算を知っている大人の論理であって、20+30とか、43+25といった計算しか知らない子どもたちにとっては、極めて不自然な考え方である。子どもたちは、筆算形式が現在不自然であっても将来役立つ計算形式であるなどとは考えない。子どもたちの論理は現実的である。この段階の子どもたちが筆算形式を有難い形式であるなどと思わないのは当然である。わたしたちは、内容と形式との関係を子どもたちの現実的な思考を土台に発展的にとらえなければならない。

 数えたし、数えひく段階から発展した計算形式が、頭加法による暗算形式をとるのは、自然な姿である。36を“ろくとさんじゅう”とは一般にいわない。”さんじゅうろく“と唱える。また、1年生では”1、2、3、---13”と個数を数えたとき、常に全体の集合と13とを対応させてきた。したがって、それにつづく20+30とか24+46といった計算の段階では、当然、数の大きさを意識する頭加法が採られる。

(つづく)

 

(研究要録1960年、P.3-11)