算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

暗算と筆算との関連について(1)

1. 計算指導に於ける過去の誤った教育方法に対する批判

 算数教育も他のすべての科学と同様、成長と発展の見地から考察されねばならない。戦後、出版された教科書をひらいてみると、最近の2、3の教科書を除いてすべて筆算形式を取っている。これは昭和26年版“小学校学習指導要領、算数科編”2年の指導内容にもとづいているわけである(87頁)。

 

5.2個あるいはそれ以上の一位数、および二位数のよせ算を、筆算形式で行う方法についての理解を深める。

  和が100まで、あるいは必要に応じて、

  和が100より大きい。

  繰り上がりのない場合、繰り上がりのある場合。

6.筆算形式でよせ算をして、日常生活に起きる問題を解決する能力を伸ばす。

9.一位数および二位数について、ひき算を筆算形式で行う方法についての理解を深める。 (繰り下がりのない場合、繰り下がりのある場合)

10.筆算形式でひき算をして、日常生活に起きる問題を解決する能力を伸ばす。

 

 したがって、現場に於ける戦後の計算指導は心ある人々を除いて、すべて筆算形式によってなされた。私もその一人である。たしかに数学は形式を重視する学問である。形式を重視することによって、機械的に操作し、我々の思考をより経済的にする。このように数学をでき上がった科学として固定的に見る限り、筆算形式を最初からとりあげて指導することは、一見正しいようにも考えられる。ところが現実はどうであろうか。私が去年受け持った2年生54名の子どもの中、尾加法すなわち筆算形式で行った子どもはわずか2名を数えるにすぎなかった。これは4月当初に行った調査の結果である。しかもその2名は、家庭に於いて筆算形式を親から指導された子どもである。このような事実はすでに昭和24年、私が卒業して初めて二年生を受け持った時感じていた。私がなんど尾加法の仕方を説明しても、子どもたちは頭から計算して行き、そうしたやり方をうちこわすのに、どれほど苦心したかわからなかった。こうした体験はおそらく私だけではないと思う。“真理の規準となりうるものは社会的実践だけである”。私たちはこうした実践から得た教訓を重視しなければならない。

 

 戦後の筆算一辺倒の誤りにたいして、戦前の暗算偏重論がある。初等科算数二教師用書に“数範囲を千までに拡張して寄算・引算を指導し、暗算による寄算・引算を一通り終わる”とあり、最終段階として、

35+78、 67+943

133ー35、 135ー87

などの計算が示してある。すなわち繰り上がり、繰り下がりが2回行われるものにまで及んでいる。もちろん、子どもたちの中には、系統を追って順に指導していけば、この段階までこなす子どももいるであろうが、義務教育においてすべての子どもに、ここまで望むのは無理である。またあとで述べるように、数範囲が拡張されて筆算が導入されたのち、筆算を行う過程で必要な暗算を、繰り上がり、繰り下がり一回程度のもので十分である。加うるに、ここまで暗算を徹底することは、かえって筆算を導入する好機を逸し、筆算導入の障害となるのである。

 なお、最近暗算と筆算との並行論を唱え、両者の主張を折衷しようとする意見もあるようだが、これはかえって混乱に導くだけである。

 以上、戦後の筆算一辺倒、戦前の暗算偏重論、最近の暗算・筆算並行論について述べたのであるが、これらに共通した立場はものごとを発展的過程的にみず、固定的静的にみているということである。我々の対象は生きた子どもたちであり、日々生長発達してゆく子どもたちである。したがって計算指導の体系を、子どもたちの各発達段階に応じて、発展させなければならない。

 (つづく)

 

第4回教科研全国大会プログラムより(1955年8月10日−12日