算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

子どもの論理(11)

 数えたし、数えひく形式に代わって、念頭による暗算形式がとり入れられると、子どもたちの計算能力は急速に発達する。それは暗算形式が、数えたし数えひく形式に比べて、20+30、43+26といった計算内容に正しく照応しているからである。

 43+26を数えたす形式で計算してみれば、如何に暗算形式がすぐれているかがわかる。

 また、暗算形式は、数範囲をますます拡張していく。23+42を計算することによって65を、65+73を計算することによって138をと---。

 ところが、この暗算形式も自ら数の拡張をうながすことによって、数えたす数えひく形式と同じように、自らを否定し新しい形式に席をゆずらなければならなくなる。即ち、78+96

といった計算になると、念頭で数を保持することが益々困難となり、位ごとに形式的に加えていく筆算形式に世をゆずることになる。

 しかも、暗算形式の過程で、子どもたちの位取りの観念や数の分析的な捉え方は充分育てられている。

 26に43をよせることによって、43を40と3に分析したり、26に40をよせ、66に3をよせることによって位取りの観念が明らかになっている。

 尚、わたしの実践によって、暗算という形式の中で、部分的な変化がその過程で行われることにも気づいた。即ち、26+43を計算するのに、はじめは26+40+3と計算しているが、やがて20+40=60、6+3=9と位取り毎に頭加法で計算するようになる。

 これは、暗算という形式をとりながら、位取りに着目した筆算の方法と本質的には変わりがない。

 勿論、筆算形式が導入されたあとでも、暗算形式の存在価値が失われるわけではない。筆算を行う過程では、どうしても暗算が必要であり、また今までの数範囲の計算には依然として用いられるからである。その上筆算形式が形式的、機械的な計算法であることから、それを補う概算の方法としても用いられる。

 さて、一定の計算内容には一定の計算形式が対応することは、上の考察でも明らかになったと思う。しかもその対応関係は静的なものでなく、数の拡張が計算形式の変革をうながし、計算形式の変革が数の拡張を促進するといった力動的関係にあることがわかる。

 私たちの計算指導の体系は、こうした発展的、力動的なものでなくてはならない。このような体系であって、はじめて子どもたちの現実的なものの考え方と一致する。

(つづく)

 

(研究要録1960年、P.3-11)