算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

計算力向上の問題点と対策(1)

<指算から暗算への移行>

 

はしがき

 二年生になると、3+4とか8−6といった結果を、念頭で自由に求められるようになることが要求される。

 しかし、こうした計算指導の段階で、子供たちが行う計算の仕方をみていると、はじめのうちは、ほとんどの子供が指を用いて計算している。そしてなかなか念頭で計算しようとはしない。指を使えば、楽に計算できるが、指を使わないと計算がうまくできないからである。

 さて、従来は具体物とか半具体物を用いてくりかえしくりかえし計算指導を行えば、やがては抽象数による計算も自由に行われるようになると考えられていた。

 しかし、子供たちの実態は、前にもふれたようになかなかそういった、うまい調子にはいかない。

 これには、いろいろな理由が考えられるが、特に次の一つの点について述べてみたいと思う。

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 一つには、従来の指導では具体数による指導の段階と、抽象数による指導の段階の間に飛躍があったということである。

 したがって、私はこの具体数による指導と抽象数による指導の中間に、一つの段階を設けなければならないと考える。

 従来、具体と抽象との間に半具体というものが考えられていたが、これは子供たちにとってはやはり具体的な数であってここでいう具体数と抽象数との間をつなぐかけ橋とはならない。

 さて、これを具体的に述べると、4とか3とかという数を、具体物で示す段階と抽象数で示す中間に、個数を念頭にえがかせる段階をおくということである。

 例えば、3個のかしわもちと、4個のかしわもちで、いくつになるかを計算させるような場合に一方あるいは両方のかしわもちを、画用紙で作った戸の向こうがわに隠して、計算させるといった段階を設けることである。

 考えてみれば、なんでもないことなのであるが、こうすることによって子供たちは、戸の向こうがわにあるかしわもちを頭にえがき、それを加えて答えを求める。即ち具象と抽象との間に心象—心像といった方がよいかもわからない—による計算の段階を設けるわけである。

 ところが、こうした心象計算は、子供たちが実際によくやっていることで、例えば、裏庭にある松の木と、表の松の木をあわせて数えるような場合に、子供たちは裏庭にある松の木を心象に描き、それに表の松の木を数え足すが如きである。

 しかも、こうした心象による計算のさせ方は、かごの中の柿をとりあげても、かし箱に入っているおまんじゅうを素材にしても、石の下にかくれている蟹であってもよい。心象にえがかれるものであればなんでもよいわけである。

 なお、子供たちは与えられた数が抽象数である場合は、その数を指におきかえて計算するが、この指を心象にえがくようにさせることが大切である。波多野完治氏も“算数の学習心理”の中でいっておられるように、指による計算は足場としては必要であるが、その足場は適当な時期にとりのぞかれねばならない。

 こうして、いろいろな物の数を心象によってとらえることは、それらの具体物がもついろいろな属性、例えば、大きさとか、色とか、形とかを捨象することを容易にし、数の一般化に役立ち、そして抽象数による計算の素地をつくっていく。

 即ち、具象計算と抽象計算の中間に心象計算の段階を設けることが、この問題を解決する一つの鍵であることを知らねばならない。

         ☆        ☆

(つづく)

 

(算数と数学 月刊教育研究誌 教育総合研究所 1962年9月 No.128 P.16−18)