算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

子どもの論理(7)

 さて、いろいろなものの数を心象によってとらえることが、抽象数による計算への橋渡しになる理由を考えてみよう。

 その理由は、いろいろ考えられるであろうが、1つはそれらの具体物がもつ色とか形とか位置を自由に変形させたり、簡素化したり捨象したりすることが容易になるからだと考えられる。

 尚、ここで具体的に考えるということと、具体物で考えるということの相違を明らかにしておかねばならない。

 まえにあげた例についていうと、かくれんぼの計算は、子どもたちが具体的に考えたよい例であり、おはじきの計算は具体物で考えた例である。具体的という場合は、具体そのものでなくても、そうしたものを心にえがくだけでよい。

 そして、算数の指導では、具体的に考えさせることは大切であるが、いつまでも具体物にとどまって考えることは、一般化をさまたげる原因にもなることに注意したい。

 4+2を具体物であるおはじきにおきかえると、計算というよりも、たんなる数える操作に終わってしまうからである。

 このことは、高学年の子どもの場合でもいえる。

を右のような図で示すと、子どもたちは計算しないで、図から結果だけをみて“5分の3”と答えてしまう。これでは同分母の場合は分子だけをよせればよいといった意識があまり働かない。

 そこで、わたしは、たんに1本の直線を示すだけで、区切りを入れないで考えさせた。

 子どもたちは、自分の頭の中で区切りを入れ、2+1と考えて“5分の3になる”と答えた。そして

も、同じように分子だけをよせればよいことに気づいた。

 4年生の子どもに

”12cmのテープを2つに切って、長いほうが短いほうにお2ばいになるようにするには、どのように切ったらよいでしょうか。“

という問題を考えさせたときも、わたしは、黒板にただ一本の直線をひいただけで考えさせた。

 それだけで、この問題を具体化するのに充分であったし、基準を1とみなければならないことにも気づかせることができた。

 しかし、図解を否定しているのではない。図解によって、あとから思考の裏付けをすることは理解を確かにする上からいって極めて大切である。

 もう一つ、具体物を持ち出すことの危険についてふれておこう。これは聞いた話である。

 ある先生が、3年生の子どもに分数の概念を指導しようとして、実際のりんごを4つに切って、1つのりんごを同じ大きさに切った一切れは“4分の1”であり、その3切れは、”4分の3“であると説明した。ところが子どもたちは、そのりんごの形がゆがんでいたため、それは、同じ大きさに切れていないといってきかなかったというのである。

 なるほど、ありそうな話である。

 さんすうでは、どんな場合でも、具体そのものを対象とするのでなく、そこになんらかの理想化があり、抽象化があることを忘れてはならない。

 3このりんごと2このりんごを合わせて5こというときも、1つ1つのりんごのもつ質的なちがいや、いろのちがいを捨象していっているのであり、時速50kmの列車という場合も、発射直後、停車直前の状態や途中のスピードの変化を考えないでいっているのである。

 このことからいっても、算数では、具体的に考えさせることと、具体物で考えさせることとを区別することが大切である。

(つづく)

 

(研究要録1960年、P.3-11)