算数の学びと指導ー市原式

唯物弁証法の視点から算数教育を見直した小学校教師の著作集

子どもの論理(4)

3. 子どもは、経験から考える

 

 5年生で、小数の乗除を一通り指導した直後

”125÷0.75の答えは、125よりも大きくなると思うか、小さくなると思うか。“

とたずねてみた。

 その結果、48人中26人は125より小さくなると答え、22人が125より大きくなると答えた。

 そして遂に、その討論で1時間かかってしまった。

 その中でも、KとMとは最後まで125より小さくなると主張してきかなかった。

“125を0.75でわるのやろ、わったら小さくなるにきまっとるがね。”

“0.75は、小数やけど、わることにはかわりがないのだから、少しは小さくなると思う。”

というのである。

 KもMも計算のうえでは、大きくなることを認めていたが、どうしても実感として大きくなるとは考えられないと言うのである。

 これと全く同じことが(整数)×(小数)の計算を指導するときにも問題になった。

“1ℓ65円のす、0.3ℓのねだんは、いくらでしょうか。”

という問題で考えさせたとき、一部の子どもたちは、

“0.3ℓのねだんは、1ℓのねだんより少なくなるから65÷0.3としなければならない。”

といってゆずらなかった。

 

 さて、このような子どもの論理は、何に原因するのであろうか。

 これまでに子どもたちが経験していることといえば、整数でかける場合と整数でわる場合とに限られていた。しあがってかけ算の結果は大きくなるもの、わり算の結果は小さくなるものと信じきっていたからである。

 即ち、子どもたちのこのような論理は、彼等の経験の特殊性に由来する。

 子どもたちが、上のようにおかれた台形を、台形でないと判断するのも、下の図のような形には直角が2つしかないと考えるのも、みなこの経験の特殊性に由来するといってよい。

 台形や直角を常に安定した位置でのみ捉えていた経験が、そうした判断に導くのである。

 さて、このような子どもたちの論理の特殊性は、どのようにして取り除くことができるだろうか。

(つづく)

 

(研究要録1960年、P.3-11)