子どもの論理(2)
2. 子どもは、すなおに考える。
5年生の5月だった。
わたしは、整数かける小数の計算を指導しようとして
“1ℓが65円のすを、0.3ℓ買います。何円になるでしょうか。”
という問題を黒板にかいた。
やがて、子どもたちのノートには
とかかれた。そして
”0.3ℓは3㎗でしょ。そして1ℓは、10㎗だから65÷10=6.5、1㎗が6.5円になるから6.5×3で19.5円になります。“
と指名されたSは説明した。ほかの子どもたちも、その解答に満足していた。“そう、それでいいですね。”
わたしは、一応肯定したものの、勿論それだけでは満足できない。この考え方は、小数かける整数であって、整数かける小数の計算ではないからである。
整数かける小数の計算のしかたを理解させるためには、この子どもたちの考え方を足場に、65÷10×3=65×3÷10と式の上で変形して導くか、0.3㎗は3ℓの10分の1であると視点を変えさせて、3ℓのねだんから導くかしなければならない。
ところが、式を変形して導くことは、65×3の意味が理解されないので、子どもたちはどことなく不安を感じ、なにか煙にまかれた気持ちになる。そこで
“じゃ、この3㎗のねだんを3ℓのねだんから求めることは、できませんか。”
とたずねた。
しかし、5、6名の子どもを除いて、多くの子どもたちはなにかピンとこない様子であった。わたしはもう一度、同じ問いを繰り返した。子どもたちの挙手はようやく増えたけれども、どうもしっくりしない。
わたしのねがいは、はずれた。授業は終わった。
“どうして先生が、3ℓのねだんから考えられませんかと聞いたとき、すぐ手が上げられなかったの。”
休み時間にわたしは、子どもたちにたずねた。
“でも、どうして3ℓのねだんから考えなければならないのか。わからなかったの。”
“突然、あんなことを言いだすから、なにがなんやらわからなくなってしまった。”
“ふつう、あんな考え方しないじゃないの。”
これが子どもたちの論理である。なるほど、1ℓ65円のす、0.3ℓのねだんを求めるのに、3ℓのねだんを求めてからその10分の1を考えるようなことは、小数倍の計算方法を導くための手段であって、たしかに一般的な方法とはいえない。それは小数倍の計算法を指導しようとしている教師のねがいであって、それを知らない子どもたちのすなおな論理ではない。この場合子どもたちにとって最も自然であり、安心できる解き方といえばやはり1㎗のねだんを求めて、それを3倍することである。
では、この場合どうすれば子どもたちのすなおな論理にのって、整数かける小数の計算法を導くことができるであろうか。“
(つづく)
(研究要録1960年、P.3-11)